令和3年2月 仏教講話「束縛は人生とともに・・・」
- 2021年02月01日束縛だらけ
○自由は幻
私たちは束縛を嫌い,その束縛から逃れようとします。
人生の束縛を少し列挙しますと、
・会社の束縛
・学校の校則
・学歴の重荷
・貧富の差別による束縛
・男女差による束縛
・老いることによる身体への束縛
余り自覚しませんが、家族の束縛、愛する人からの束縛、
そして自分もしてしまう「愛する人」への束縛・・・
仏教ではこの状態を「渇愛」と言います。
私たちは自由を求めながら「束縛の罠」に自動的に嵌っていくのが
人生であると中々気づけません。
自由を求めますが、希望する自由には辿りつけません。
やっとお金の束縛から逃れたが、人生の残り時間は、あと僅かであったりします。・・・
希望が大きければ、それに伴って酷く過酷な忍耐を強いられたりもします。
オリンピック選手に選抜されるのも大変な努力が必要ですが、
メダルの期待が高まると、より一層の周りの期待に押しつぶされそうに
なったりします。
仏教の答えを言いますと、
生きることは苦であり「束縛」という目に見えぬ柵を
次から次へと変わるだけに過ぎないのです。
この束縛(苦)を逃れる方法は「解脱」にあると釈迦は語ります。
存在苦を緩和する方法が「慈悲」の心であります。