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2009年04月10日
「生命の生滅」 カフェブレーク マザー通信
○ 無限をさ迷う
生命は、生きているものを指します。
物質は無生物を指す時に便宜的に用いられます。
生命の定義は、「心がある」かないかの違いとも言えます。
宇宙の始まりと終わりの論議は、天体物理の世界では、よく論議の的になります。
今の所「分からない」が多勢を占めています。
生命は、医学や生理学ではその研究対象にのぼります。
動物や植物学者の研究対象ともなります。
生命の定義は、学者によって若干の違いも見受けられます。
さて、生命=心の存在としますと、心とは一体何であるのかが研究の対象となります。
心理学等は、この分野を対象にしていますし、文学や詩等、芸術関連の分野の人も熱心に研究しています。
心とは、生命活動の担い手と言えるでしょうか。
私達の認識では、寿命は80年前後と考えられ、そこに誕生=生命の始まり、
死亡=生命の終わりと簡明に定義しています。
実際の生命の(心の生滅は)サイクルは、瞬間で起こります。
譬えて言いますと、蛍光灯の点滅と同様の速さで、死んでは、生き、を限りなく続けています。
細胞の死滅は、一日でも膨大な量が入れ替わっています。
人間と言う個体でも、各生命は生滅を瞬間ごとに繰り返している事実があります。
つまり、人間の一生とは、便宜的集合体の一生を、寿命と名づけているに過ぎません。
苦の真理がこの世界の秩序と言われます。
生命は幸福を求めても得られない世界で、無限の輪廻をさ迷います。
生まれ変わり死に変わりは、この問題の解決になりそうにありません。
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