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2009年05月10日
「死のリスクを怖れない」 マザー通信
○ 死は100%の確率
さて、死について考えてみましょう。
死は、生まれる時からやってきますし、交通事故や、災害、病気等によって訪れます。
抽象的な見方をしますと、妄想が果てしなく広がり、頭は混乱の極みに達します。
死の確率は年齢と供に高まり、100歳を越える頃には、100%近い確率に上昇します。
ですから、怯え始めますと、きりがありません。
人間は他の生命に比べても、死を異常に怖れる存在です。
死を主観的に見ますと、「生命の終焉」と判断できます。
客観的に見ますと、生滅の滅にあたります。人間の肉体を構成する。細胞の寿命はわずかしかありません。絶えず体内でコピーを繰り返しながら、集合体の心身の生滅の働きを繋ぐ役割を果たします。
蛍光灯が、瞬間・瞬間、繰り返しながら、スイッチのオンとオフを繰り返す動作に似ています。
人間が一般的に定義する死は、寿命の全うと、病気や事故による死亡です。
仏教的な生と死は、瞬間的生滅の繰り返し=輪廻です。
「終わりも始まりも特定できない」と言う認識をしています。
生命の働きは、「知る」ことにあります。
死とは、この知る機能=心が、肉体から乖離することになります。
肉体の操縦者である「心の存在」が解き明かされています。
心がその回転運動に相応しい所へと移動する=転生すると考えられています。
これは因果の法則の無限の理解からきています。
「死を怖れるよりも、今の行いを気にしなさい」と釈迦は伝えています。
死を怖れるのは、無駄と言えるのでしょう。
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